文字っ書きの書き置き

人間の中身を吐露しようというものです

ヒストリー

自叙伝書けるくらい大きくなりたいですね・・・(唐突)


歴史とは、まあ簡単に言えば履歴みたいなもんだと思うのが普通でしょう。ア○ゾンの注文履歴とかゆう○ょの通帳みたいに、事実が書き連ねてあります(どんな悲しい恥ずかしい履歴も明らかにそこにあります)。

ところで、そこに書いてあることはどうして「事実」なのでしょう。
例えば銀行口座から1万円が引き落とされていたとき、それはどうして「正しい引き落としだ」と考えられるのでしょう。

幾つか考えてみました。

 

  • 記録(通帳や家計簿、徴収書など)や記憶から整合性がある。
  • 銀行を信頼し、銀行に間違いがないことを信じている。
  • そもそも疑う選択肢がない(鵜呑み)。
  • 暴力団に脅されている。

まだありそうでしたらご教示ください(結構です)。


ここが某エラス王国とかでしたらともかくここは日本国ですから、まあ記憶にない出費が書き込まれているからといって銀行システムを真っ先に疑う人はまず変態でしょう。

 

酔っ払って記憶のないショッピングの無慈悲な請求にさらされたっていうのが関の山です、諦めてください。もちろん散々調べた上で銀行のミスしかあり得ないなら別ですが・・・。

直近のことならいざしらず、3年前の通帳に記帳された些細な入出金のことなど誰が普通覚えていますか。覚えてる方は明確にキチガイかそれとも宝くじでも当てたんですか?

 

こう自分の記憶や記録があてにならなくなると、その記録の妥当性は通帳を発行し記帳を受け付けた銀行への信頼が担保してくれるしかありません。たぶんそれで十分です。

 

 

この話を歴史に差し替えてみましょう。

たとえば、近所の本屋でとある歴史系評論家の著書を買ってきて読むと、

 

「9.11は米国政府の自作自演!」

 

と主張されていたとします。これが正しいと信ずるためには

 

  • 記録(議事録とか飛行機の搭乗員名簿とか)や記憶から整合性がある。
  • 著者を信頼し、著者に間違いがないことを信じている。
  • そもそも疑う選択肢がない(鵜呑み)。
  • 陰謀論者である。

こんなとこでしょうかね・・・?

 

近現代の書物ならある程度資料がたくさん確保できるでしょうから、資料全体がある方向に揃って事実と乖離していない限り、事実を「事実」として認めることができます。

しかし資料が少なかったり、多くても元をたどると極めて少数の一次資料に収束してしまう、というような状況では「事実」は事実ではないかもしれません。

 

 

続きはまた、こんど。