文字っ書きの書き置き

人間の中身を吐露しようというものです

人間観

どうもです。

いつかやりたかったはずの観念吐露シリーズです。ようやくはじまります。


まずは人間についてお話しようと思います。
歴史にしろ政治にしろ我々の生活にしろ、人間がなければお話になりませんね。

まあ、人間いなくてもいいかなとは思うんですけど・・・、それはあとにして。

 

 

 

 


ぼくは人間を性悪的でもあるし、性善的でもあると思っています。

ー解説
性悪説」というのは荀子(じゅんし:紀元前3世紀ごろ、戦国時代中国の人)の思想で、人間は生まれながらにして心の弱き人であり、その弱さゆえに悪事に手を染めうる、それゆえ教育が必要なのだ、というような思想です。
また「性善説」もこれに似て古代中国の孟子(もうし:紀元前4世紀ごろ、戦国時代中国の人)の思想で、人間は生まれながらの善人であるという説です。

 

さきほど「人間を」と言いましたが、これは人間に限らず多くの生物に適応できるのではないか、とすら思っています。


二律背反なふたつの思想をどうして両立するのか、という部分をまず疑問に思われているかと思います。そのためにはまず「善」と「悪」から始めなければなりません。


 

では「悪」とは何を以って「悪」たるのでしょう。

 

 


僕は、「『悪』とは実は相対的なものであり、『絶対悪』は存在しない」と考えています。

 

喧嘩している二人の間ではお互いがお互いに「悪」であり、それは第三者からみた「悪」とはまた別のものです(もっといえば他の第三者もまた違う「悪」を見ているかもしれません)。

「悪」の対義たる「善」や「正義」も同様に相対的であり、「『絶対的正義』というものは幻想である」と僕は考えています(しかし利用価値は大きく、有用な言葉でしょう)。

 

「有難迷惑」というまさにいま適材といえる言葉がありますが、これも「善」の定義が人によって異なったことによります。Aくんにとって肩もみが善行であったとしても、されるBくんにとってショルダークラッシャー*1で翌日肩が回らなくなったら悪以外のなにものでもありません。

 

 

このため「善」や「悪」を語るには基準となる視点が明確でないといけません。「誰にとっての」を曖昧にしたまま善悪を語ることは盲目的であり、ときに非常に危険です。

 

ここで、仮に視点は「社会」や「国家」、「部族」などにおくことにします。ひらたくいえば社会的な共同体を軸に据えて考えます(なぜならば概して法や慣習は共同体の安寧のために守られるからです が、これについては宝くじ1等があたったら書くんじゃないでしょうか)。

 

 

 人は産まれると通常、親を軸に様々な人間関係を構築しながら成長します。この過程で社会にすでに形成された「善」を見て学び、社会的に見て「善」なる人間を形成します。

 

これは現在のような高度経済や産業主義に至る以前から、つまりたとえ石器時代の家族であっても普通、子供たちは目をあけるやいなや家族や友人たちから立ち居ぶるまいを学び、部族の一員としてあるべき姿、すなわち「わが部族における『善』とは何か」を学習しただろう、という結論に至ってよいように思います。

 

ただしすべての人が順調にそれら「善」を順調に獲得するわけではなく、保護者の不在や物理的・精神的虐待、または社会では所謂いじめのような被虐によって、程度の差はあれ社会的「善」を学ばずに「悪」となって社会にあらわれてしまう人も出てきます。

 

余談ではありますがこういった過程には保護者の経済的・精神的切迫が背景にある場合が多く、少なくとも社会が安定していれば(≃経済が安定していれば)社会に適した「善」を学べる確率は高くなります。

 

したがって人間は社会を組む前提において、社会が「善」を定め、社会が「善」を育てる、また人間もその「善」を吸収して育つために人間は性善的であり、しかし一方で社会がうまく機能していないと「善」を育てきれず「悪」を生んでしまうその点において、人間単体の素性は社会的に見て「悪」なのだろうと考えています。

 

注意せねばならないのはそもそもその「社会的に見た『善』」は絶対的正義ではないということです。時代が変われば、地域が変われば、支配者が変われば、正しいことも変わります。これを忘れてはなりません。

 

 

ところで現代社会の「善」とは何でしょう。おそらく「社会性」とか「協調性」といったものが該当するのではないでしょうか。そういったものを一般に欠く「ガイジ」やら「糖質*2」が毛嫌いされる観点としてあり得ませんか。このあたりをつつきだすと長くなるのでまた別の機会にしますが・・・。根深い問題です。

 

 

長くなりましたがさっとまとめると、

 

  • 人間は社会により「善」と「悪」を定め、また定められる。
  • 人間自体の素性は社会にとって基本不適格*3であり、社会が教育によって社会の求める「善」なる人を生産することで社会を安定持続させる。
  • 善悪は相対的概念であり、絶対的にとらえるのは危険。

 

といったところでしょうか。まだすこし熱中症の影がうろついてるので何とも言えませんが・・・。

 

 

最後に、これらはぼく個人の観念です。「僕から見て」、「今のところ」、「正しい」にすぎません。こんなの虚無でしょ。ご意見あらば是非を問わず拝聴したいと思います。お待ちしております。

 

 

あちいですね・・・。

*1:揉みすぎは揉み返しという筋肉痛を誘発します。気を付けよう!

*2:統合失調症患者のこと

*3:たぶんですけど、社会が高度すぎるのかもしれません