日頃戦略ゲームの好きな私ですが、あんまり同じゲームをしている同胞に会うことがなく寂しい思いをしていたところ、Hoiシリーズを始めたという知己がいたのでここぞと
Kaiserreich
をお勧めしようという内容を以下に記しておきます。出来る限り読みやすいようにまとめる努力をしましたので歴史やIFが大好きなら読んでいって、どうぞ。
(Hearts of Iron IVについての説明はしません!)
Kaiserreichとは?
Kaiserreich(カイザーライヒ)とはその名前のとおり、Kaiser(カイザー、ドイツ皇帝)のReich(ライヒ、国)、つまりドイツ帝国を指しています。
我々の世界の帝政ドイツは第一次世界大戦に敗れて共和制に移行しますが、Kaiserreichでの欧州大戦は1921年、中央同盟国の勝利で終わります。(なお日本は協商国としてドイツと8年に亙り経戦しますが遠すぎて決着つかず講和することになります。)
戦後の世界経済を手中におさめたドイツ帝国は栄華を極めますが、30年代に入ると他国の戦後復興に押されてしまいます。
英仏では大戦中から戦後にかけて、長引く戦争に耐えかねた労働者のゼネストにより民主主義政権が崩壊し共産党政権が成立。
また東欧では民族主義が勃興しドイツの一元支配への反発を強め、拡張主義を標榜しはじめます。
かくして欧州のパワーバランスが再び乱れる中、世界はどこへ向かうのか・・・?
各国紹介
主だった国たちを気力の限り紹介。
ドイツ帝国
「世界大戦*1」の勝者。ヨーロッパ最大の軍事同盟である帝国協定*2と、同じくヨーロッパ最大の経済圏である中央ヨーロッパ*3の盟主であり、英仏から分捕った植民地がアフリカや太平洋など世界中にある。ロシア革命に直接介入しボルシェビキを排除。その経緯でウクライナやロシアへ強い影響力を持っている。
目下ヨーロッパでは英仏+伊のサンディカリズム*4国家が仮想敵国だが、東にロシアやルーマニアでの政情不安、アジアでは大日本帝国の拡張政策とあちこちに目が離せない。カイザーヴィルヘルムの心労やいかに。
組閣人事の実質的な任命権をドイツ皇帝が有する準立憲君主制をとる。皇帝に立法権はない。1936年現在、ドイツ保守党(DkP)を中心とする連立政権となっている。
史実では1933年から政権を取っているはずのAdolf Hitlerは、Weltkriegでオーストリア人ながらドイツ軍に志願し「ドイツを救わねばならない」との一心から一級鉄十字章を受章する武勲をおさめ、ついにフランスを下したことを大いに喜んだ。その後ドイツのロシア内戦介入に従軍。1920年、ボルシェビキとの戦闘中にマスタードガスにより戦死した。世界大戦からロシア内戦まで彼の闘いを綴った従軍日記を姪のGeli Raubalが"Mein Kampf"として出版。映画評論家のJoseph Goebbelsから高い評価を受けるLeni Riefenstahl監督が1938年公開を目途に映画化するなど大ヒット作品となっている。
大日本帝国
島の形の都合で朝鮮半島が本体みたいになってるHirohito()の国。旧協商国でまともに政権が生き残ってるのはここくらいのものだが、大正期には戦後恐慌に直面。関東大震災や皇太子裕仁親王(当時)暗殺未遂事件などさまざまな事件が立て続いている。
シベリア出兵のどさくさに紛れて占拠したアムール川流域にコルチャークを住まわせて親独ロシアに歯向かっているほか、同じく親独派である溥儀清朝の弱体化をいいことに張作霖を操って満州を我が物としようとしているなど反ドイツ覇権の姿勢を明確にしている。南洋諸島、インドシナ、ボルネオに広がるドイツ植民地にも手を出す用意があるようだ。
史実と違い昭和11年(1936年)時点で国内は立憲政友会と立憲民政党による二大政党政治を保っているものの、共産主義者や軍国主義者がいつ次の行動を始めるか予断を許さない。
もうちょっと具体的な日本現代史(Kaiserreich):
1919年のヴェルサイユ条約締結によるフランスの脱落からイギリスは欧州戦線での抗戦を続けたが、長年の戦争で消耗した両陣営に具体的に出来た事はなにもなく、1921年にはのちに「名誉ある平和("Frieden mit Ehre")」と称される講和に応じることとなった。しかし日本は中国のドイツ租借地を要求して調印を拒否。国際情勢の変化を鑑みた翌1922年の青島条約で休戦し、ようやく日独戦は終結した。大正後期日本は、遅れながらも史実どおり大戦需要の反動による戦後恐慌に苦しんだ。大正11年(1922年)の停戦のすぐ翌年に発生した関東大震災で大規模な被害を受けた帝都ではアナーキストや社会主義者の活動が活発化。同年末には無政府主義者による皇太子暗殺未遂事件まで発生し、日本史上はじめて全国に戒厳が敷かれた(帝国憲法下での史実の戒厳は日比谷焼討ちのほか五・一五、二・二六事件により帝都周辺に限定した例があるのみ)。事態収拾のため、元老西園寺公望らの意向で田中義一(陸大8)内閣が組閣され、大正14年(1925年)の衆院総選挙で勝利した田中は普通選挙法と同時に治安維持法(震災に伴って発布された緊急勅令を法律化したもの)を可決させ、取り敢えずの安定を得たかにみえた。しかし翌15年にはイギリス革命が発生し英本土は共産化、このほかアメリカ市場の衰退やドイツ経済の隆盛に押され、日本の輸出は打撃を受けた。ここに至り震災手形(関東大震災に伴って、震災以前の割引手形を日銀が割引いたもの)の不良債権化問題が爆発し金融恐慌が発生。社会の混乱を収めるため、立憲政友会と憲政会は第二次護憲運動を主導し田中は退陣した(大正デモクラシー)。その後を纏めた犬養毅内閣ではドイツの中国介入に対抗するため関東軍が満州入りしドイツとの緊張が高まった。大正15年(1926年)に大正天皇が崩御して以降、犬養内閣のもと昭和初期の日本社会は緩やかな安定を取り戻しつつある。なお昭和7年(1932年)5月15日にテロ事件は起こらず、犬養は昭和11年(1936年)現在息災である。
アメリカ合衆国
「協商国への投資」に失敗した形となったアメリカではウォール街が衰退し、大戦後ずっと経済苦に直面し続けている。1936年現在、共和党のHerbert Hoover大統領は既に10年続いていると言われるアメリカの大恐慌に手を焼いている。二大政党制は崩壊寸前であり、アメリカ国民の分断は財政赤字よりも深刻だと言われている。
史実のアメリカとは異なり、この世界でのアメリカは世界的存在感が薄い。世界大戦以降ずっと経済的失敗の下にあるためだ。この国で暗黒の木曜日は再現しない。
1936年は大統領選挙の年であり、ポピュリズム政党アメリカ第一党*5のHuey Longルイジアナ州知事や社会主義政党アメリカ社会党*6のJack Reed上院議員(ニューヨーク州選出)らの人気はここにきて増大しているようだ。
史実では1932年から通算4期の大統領を民主党のFranklin D. Rooseveltが務めるところだが、この世界での彼は1921年に病死している。一方で史実でFDRに敗れるHooverは、財政赤字と大恐慌の難局において2選(1928、1932)を果たしている。
イタリア分裂五ヵ国
「未回収のイタリア」を取りに行って無事9割未回収になった。
イタリアは1915年、史実通り協商側に立って参戦するも戦線はほぼ膠着。しかし1919年に独墺連合軍に突破されローマは無血占領、イタリアは降伏した。またこれに伴ってフランス軍も崩壊し、のち降伏に至る。
欧州大陸(除イギリス)での戦闘終結により講和条約であるヴェルサイユ条約が締結され、イタリアはオーストリア占領下でイタリア連邦として再出発した。ところがオーストリアの占領に反対する復員兵らにより反乱が発生、反乱軍は駐伊オーストリア軍と干戈を交え、中部から北部イタリアを占拠した。
しかし反乱軍は共和制を目指すことで一致していたものの、それまで反墺で共闘していた民主主義者と社会主義者の亀裂が次第に深まり、ついに左右に分裂した。
中北部の大混乱をよそに南部では独立派による両シチリアが成立、Savoia家を中心とした王党派はサルデーニャ島に逃れた。結果1936年現在、
- イタリア共和国(ヴェネト、ロンバルディアなど)
- イタリア社会主義共和国(ピエモンテ、トスカーナ、エミリア=ロマーニャなど)
- 両シチリア王国(カンパーニャ、アブルッツォ、シチリアなど)
- サルデーニャ王国(サルデーニャ)
- 教皇領(ラツィオ)
に分裂してしまっている。
王室はサルデーニャ島にてサルデーニャ王国を復古、惨憺たる戦場と化した北部・中部ではオーストリア庇護下の共和国と、フランス傀儡の社会主義共和国がポー川を挟んで睨みあっている。南部ではBourbon(ボルボーネ)朝が王政復古し、それぞれに"Risorgimento"(リソルジメント)、つまり再統一の機会を窺っている。また両シチリア王国は教皇領を保護している。
史実で権力を握っているはずのBenito Mussoliniは、社会主義共和国内でより国家主義的な手法を主張して活動している。また黒シャツ隊で有名なItalo Balboは共和国内でポピュリズム政党を率い、思想的にはMussoliniと対立する形となっている。
大清帝国
宣統3年(1911年)に革命(辛亥革命)が起き宣統帝は退位し清朝は崩壊したが、その後は激しい権力闘争の続く無政府状態となり中国は内戦へと突入した。結局ドイツの介入により1927年に大清帝国が立憲君主国として復活し内乱は終結したが、権力は中原一帯にしか及んでおらず全国の統一には程遠い。
1936年現在、正当政府は紫禁城を支配する清国政府で、ドイツの支援を受けた旧北洋軍閥の直隷派に支配されている。ドイツの介入に対抗した日本の後ろ盾をもつ張作霖の奉天軍閥*7とは過去四度に亙って日独の代理戦争を演じている。
フランスの支援を受けた国民党は北伐を行ったが失敗、蒋介石は暗殺された。のちドイツから攻撃を受けさらに衰退し、汪兆銘はフランスへ亡命。残党は雲南の山岳地帯や中央から遠い華南に潜伏しているとされる。
天津、上海、香港などの租界は加盟国の機会平等を謳った条約都市となっているほか、中原からひとたび外へ出れば閻錫山、孫伝芳、馬福祥など軍閥指導者が直接支配しており、一部を除きひととおり中央政府へ従っているものの何時どこで中央政府の手が及ばなくなっても不思議はない。
国民党が活動しているので史実の国民党関係者の動きはよく設定されている。史実の日中戦争までに存在した様々な軍閥関係者も然りである。一方で中国共産党のお株を奪って国民党が社会主義政党なせいか、毛沢東、鄧小平、朱徳とかの主要メンバーはどこ行ったのかよく分かっていない。
セルビア
そもそもWeltkriegはオーストリアのFranz Ferdiand大公夫妻がサラエヴォでセルビア人に殺害されたことが契機となって始まった。大戦の序盤でセルビア軍は優勢なオーストリア軍によく持ちこたえたが、1915年にはブルガリアが中央同盟側に参戦。英仏軍による救援も間に合わず、セルビア軍は崩壊した。ヴェルサイユ条約では国土のおよそ半分にもなる北マケドニアをブルガリアに割譲することを認めざるを得なかった。
今やセルビア人の多くは、強大なオーストリア=ハンガリーへの恨みをブルガリアへとぶつけようとしている。先の大戦で同じくブルガリアに領土を割譲することになったギリシャ、ルーマニアと様々な協力関係を築き、復讐の機会を窺っている。
現在のセルビアは「摂政期」と呼ばれ、1926年のオーストリア軍撤退から摂政を務めるPetar Bojovićにより支配されており、セルビア王位は空位のままである。スイスに亡命中のAlexander I(アレクサンドル1世)は国民に人気があり、彼をセルビア王に迎えようという一派が存在するが、オーストリアの対応を考慮せねばならないだろう。セルビアのささやかな経済は農産物の輸出を軸に差し当たって安定を見せているが、これから前途に広がる様々な課題に直面するにセルビアはまだまだ弱体のように見える。
セルビアが敗戦、オーストリアが戦勝したことでユーゴスラビア王国は成立しない。ただし南スラヴ人の一派が戦後、帝国内で反乱を起こした経緯で汎スラヴ国家イリュリア王国が誕生している。史実でのAlexander Iはユーゴスラビア王となっているが、国内の民族対立が高まると1934年に暗殺される。
体力のおわり
いかがでしたか?(テンプレート)
近年のアップデートで非主要国もイベントやディシジョンが充実してきました。(キレナイカのサヌーシー教団のやつがすき。まだ日本語化はされてないけど。)お蔭様で積極的に参戦しにくい小国でも、義勇軍で嫌いな国をちまちま虐める以外の楽しみがあります(?)。
ぜひ世界の新たな覇権争いに参加し、すべての土地を自分たちの旗色に染め上げましょう!それでは・・・
DAS PREUSSISCHE VOLK ERWARTET EINEN UNVERGLEICHLICHEN SIEG!
FÜR DEN KAISER!!!*8
次は中華内戦に参戦してみたいな・・・