7/27(土)
書きたい、というのは努力目標なんで……などと言い訳しつつまたサボっております
またしても戦火が拡がり、やはり20年代は動乱期に入ったなと確信を日々強めています。
タイ カンボジア 武力衝突 合計30人以上死亡 鎮静化兆し見えず | NHK | タイ
日本ではいまだに戦争の責任を軍や政治に求める考えが根強く、実際このような国家規模の活動が多かれ少なかれ国民の支持なくして遂行し得ないこと、そしてその為に(?)国民を統制する、などということが言うほど簡単でないことが見過ごされ続けているように思います。
現代国家間戦争がついに東南アジアまでやってきて、ある種特別であったのだろう冷戦後の平和な30年が日本に別れを告げようとしています。
私たちの権利を踏みにじる者たちに、あるいは私たちの自由を蔑ろにする者たちに対して私たちはいよいよ備えなければならなくなったのでしょう。
そのとき私たちが払うべき代償とは何なのか。税なのか、被支配と抑圧なのか、それともおびただしい血なのか…… それは分かりません。しかしもう考えずに立ち止まることは許されないでしょう。
緊張を増す国際環境の複雑な変化を正しくとらえ、荒波の中で日本の国がとるべき道を正しく選択できる、そういう世論や社会基盤を形成しましょう。さもなければいずれ、放言流言に呑まれて80年前のように、どこに繋がる道とも知らず破滅へと足を踏み入れてしまうでしょう
7/16
今日はスマホから書いています。外に出すレベルのまとまりはありませんが、日記なので(?)
今回次回で自棄になった人を見た感想を(なんか書いてますがぜんぶ現時点での私見です)。
大前提ですが、人は自分の半生を肯定することなしに生きていけないです。問題はその肯定方法にあります。
およそ人間の精神的強さは、どれほど自分自身を、それがどんなに理想と違っていようとも、今の自分として自ら認められることにかかっている、と思います。
あるがままの過去と現状をよく識別し、自身の限界を了知していることがかえって心の土台となり、他者や現実によるいかなる「あなたの弱点はこれです」という「曝露」の試みにも毅然として怯えずに済むのでしょう。
一方で自身の現状を自ずから肯定できない場合、どうにかして自らを補う必要があります。
一つの手立ては「本当の自分」を覆い隠すことです。虚構で周りを囲い、そこに近付く者を排除して、見てはならないものを見えなくします。
もう一つ私が知る手立ては「尊敬する人に認めてもらう」ことです。自身では自分の心を説得できなくても、説得力のある他者の言葉がそれを代替できることがあります。
いずれにしても実存としての自身と、「いまあるべき自身」の像にある認め難いギャップを何かで埋めているとき、そこに精神的脆弱性を生じます。
社会的成功に心を委ねた人が仕事で大失敗をしたり、自分の能力に価値を見出した人が自分の「能力不足」に直面したり、心を預け信頼していた人に裏切られたり…… なんらか自身の存在価値を担保していたものが大きく揺さぶられると自身の存亡の危機に陥ってしまいます。
いわゆる「メンヘラ」と呼ばれる人たちはこの揺さぶりのもとにあるのだと考えています。
認めるに忍びない(と考えている)半生と、それを肯定してくれそうでしてくれない周囲に翻弄されたり、あるいはむしろ現実を叩きつけられ続けたりして衰弱します。
根本解決には人生の認知を改めることが必要だと考えますが、認知の歪みは矯正に多大な努力を要することですので「改めよ」といって改まることではありません。
周囲の人間にできる第一の手段は相手の信認を獲得して肯定してやることなんですが、これがまた手のかかる事でなんなら厄介ごとを抱え込むことにもなるので、やるなら相応の覚悟が必要となります。
だからメンヘラは関わらないのが一番です。
関わったのなら応分の責任を負いましょう。
7/10
もっとていねいに書け

6/24(火)

本業、今週お休みとの通達をいただいたためしばらく羽を伸ばせそう(どうせ仕事するけど)


